2007年05月01日

4月28日・因美線美作河井転車台発掘その1

国鉄色キハ65・タブレット受け渡しこの写真は、決して昭和の時代にタイムスリップしたわけではありません・・合成でもありません・・幻でもありません・・昔の写真でもありません。

そう、私たちがボランティアに参加した当日、因美線で国鉄色急行型車両が運転され
なんと、私たちの目の前でタブレットの受け渡しが行われたのです。

私が参加したボランティアは、因美線の美作河井駅にある転車台の発掘のボランティアだったのですが・・・たまたま、国鉄色気動車をイベント列車として走らせるというイベントも行われていて、私たちが作業をしている前に現れたのです。

主催者に聞くと、たまたま一致しただけですよと言われたのですが・・・津山の鉄道イベントは必ずサプライズがあるなぁ・・

さて、本題は、この車両の話ではないので・・ああ・・これでがっかりしないでぇぇ!!

ちなみに、いくつか話を分けて書こうかと思っていますが、順番に書くのではなく、最初に概要を書いて、後から細かい話を思いついた順番で書いていこうと思っています。



土砂撤去作業(この写真は作業終了近くの写真なので、土砂はほとんど撤去されています。私も作業をしていたので、作業中の写真はほとんど撮れなかったです。)

ボランティアに参加しようという話は友人のTさんからありました・・発掘作業なので、ショベルで土砂を取り除く作業だと、けんさん、持病もあるし、体力もそんなにないから・・と言うと、Tさんが、ネットで写真を見たけど、転車台はちゃんと見ているから、清掃作業くらいじゃないのかなと言われたので、それを信じて応募することに・・

しかし、実際に作業の説明を受けると・・・ショベルで土砂を撤去する作業でした・・転車台はちゃんと見えていますが、下の方に土砂がたっぷり積もっています・・これを撤去するのがメインの作業です。

皆、ショベルを持って転車台の中に・・もちろん、けんさんもショベルを持って・・体力的に心配があったのですが、実際には最後までばてずに作業できました。恐らく、作業能率は他の参加者より悪かったと思いますが、少なくとも足手まといになる状態にはなりませんでした(苦笑)

転車台の説明これが、転車台の説明・・近代化遺産でもあるんですね・・・けんさんもTさんも、参加費1000円(しいたけ弁当代)と交通費を自分の費用で払っています・・

しかし、津山の人たちの努力に微力でもお役に立てればという気持ちですし、当然、鉄道好きの方が多いので、普段使わない筋肉を使うきつい作業でしたが、苦になりませんでした。当然、翌日は筋肉痛へ・・

実は、津山の人たちは、ある夢に向けて行動されているのです・・それは、津山駅にある扇形庫の有効利用、全国に一つしかないディーゼル機関車のDE50−1の保存と有効活用・・

そのアイデアを鉄道好きの方から意見を聞くため、昨年は、扇形庫の見学と、意見交換会が行われ、扇形庫やDE50を有効に活用するために、鉄道ファンの方から、実現可能性なんか考えずになんでも意見を言って欲しいという趣旨で行われました。

昨年の見学会の様子

扇形庫の見学には100人近く集まったのですが、意見交換会に残った方は残念ながら10名程度でした・・私とTさんも参加して、いろんな意見が出ました・・(もっとも、その7〜8割はTさんの意見ですけど・・私を含め他の方の意見は少ないです)

そこで飛び出したのが、扇形庫を博物館みたいに利用できないか・・あるいは、各地で廃車されそうな国鉄型気動車を走らせるイベントはできないものかとか・・何かを整備する際にコストを削減しなければならないなら、ボランティアを募るのも一つの方法ではなど・・多数の意見がありました・・もちろん、ここに書いた意見は、実現に向けて動き出しているものだけを書いています(残りは、意見交換会に参加した人と津山市の方々の秘密です(爆))

その意見の一部が実際に現実のものとなっていました・・最初の写真などがそれです。国鉄色急行型の気動車を期間限定で走らせるというイベントですが・・当然、沿線にはたくさんのカメラの列ができていました・・それだけの人が津山に集まっているわけです。

これはJR四国の車両を借用したそうですが・・当然、まず津山の人たちがJR西日本と交渉しなければいけないですよね、最初は津山鉄道部へ話を持って行くのでしょうが、JR西日本には国鉄色の急行型気動車は残っているのか微妙です・・となると、他のJR各社からの借用という話をしなければいけません・・そのうえで、JR西日本がJR四国と交渉して、話がまとまって、実現したものです・・

津山の人たちの熱意に圧倒されました・・・鉄道好きの方には国鉄型車両が好みの方が多いし、ましては国鉄色となれば、なおさらです。でも、残念ながら国鉄型車両は古くなっていますから廃車されていく運命にあります。マニアの方(決して蔑称の意味はありません)はそれを嘆くだけではいけないのではと・・感じます。この津山の人たちのようにアクティブに行動していかないといけないのかもしれません。


また、将来鉄道博物館を実現するための実行委員会まで作られたそうです・・DE50は見学しやすいように、扇形庫の端っこから真ん中あたりに移動されたとも聞きました。

津山の人たちが実現の努力をされていることは・・ある意味、意見交換会に参加した私たちの望みとも重なります。広島からでは、なかなか助っ人として参加することができないと思うけど・・都合がつけば、微力ながらお役に立ちたいと思いました。

kensan156m at 14:43│TrackBack(0) 鉄道関係 | 見学・イベント

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この記事へのコメント

1. Posted by R-157   2007年05月01日 15:40
これは、タイムスリップですか? キハ58と65、しかも国鉄色とくれば・・・

転車台の発掘作業のボランティアもなかなかですが、津山の方々の熱意には心を打たれますね。国鉄時代ならば、容易だったのかと思われますが、JRとなった今では、四国からの借り入れという事になりますから、交渉も大変だったのではと推測します。

また、Tさんのご意見もかなり貴重ですね。彼が津山市の方を動かしたといっても、過言ではないと思いますよ。
1両しか存在しないDE50と扇形庫も、永遠に文化財として残して欲しいものであると感じます。
2. Posted by けん   2007年05月01日 20:05
>R−157さん
今でも、あの光景は、その時だけタイムスリップしたのではと感じることがあります。

津山市では、扇形庫やDE50を津山の活性化・・つまり観光に使えないかと考えているようですね。

Tさんの意見はTさんがいろんな専門家だったため、かなり具体的な話もあったのですが、実は、私が言いたかったこともほぼ同じだったんです。

ただ、私は鉄道は初心者だし・・あまり具体的な案は話していないんですね・・ただ、Tさんが私とほぼ同じことを考えられていたことには、昨年のあのとき、驚いたものです。

国鉄型車両というのは、日本の高度成長の時に国民の足として働いた車両です。蒸気機関車だけ保存すればいいという話じゃないと感じます。